年の瀬の三ツ峠山に登る

冬期休暇中にふと思い立ち,友人と山梨県にある三ツ峠山に登りました。今年は非常勤の授業準備が忙しく,なかなか山に行く時間が無かったため,最初にして最後の登山です。

三ツ峠山は,河口湖のほとりにある標高1785mの山です。開運山,御巣鷹山,木無山という稜線が連なる3つの山の総称でもあり,また開運山だけを指すこともあるとのこと。このあたりの曖昧な感じは(そもそも「峠」ではないし,木無山には「木」が沢山あるし),山の名称や地名にありがちです。見たままを表現したり,意図して反対の意味の言葉を使ったり,口伝によって本来の意味を失いまったく違う意味になったり。なお,「御巣鷹山」は日本航空123便墜落事故現場として有名ですが,事故現場となったのは群馬県にある同じ名前の山の方だそうです。

当日は浜松駅から午前6時20分発の「こだま」に乗り,三島駅から小田急の高速バスに乗り換え,河口湖駅に着いたのは午前8時40分。一日二便しかない高速バスは富士急ハイランドを目指す若い乗客でほぼ満席。2日前に予約しておかなければバスには乗れずに,三島駅で立ち往生していたかもしれません。新幹線もバスもずっと寝ていたので,あっという間でした。河口湖駅からは,地元に住む友人が自動車で迎えにきてくれたので,まずは宿泊予定の富士レークホテルに。品の良い落ち着いたホテルです。5年ぶりに会った友人の息子の成長に驚きました。コーヒーとパンの匂いの広がるロビーで登山の準備をし,余分な荷物を預けて友人の運転する自動車で登山口まで向かいます。

三つ峠山登山口は標高1200m程度のところ。つまり,実際に登るのは500mくらい。自動車でかなりの高度を稼ぐことのできる楽な山です。登山口の駐車場には既に10台ほどの自動車が駐車されていました。登山道も,山頂付近の山小屋の従業員が自衛隊から払い下げられたようなジープで麓まで往復するため,広く整備された私道のような様相。実際何度かすれ違いました。古くは奈良時代から修験道の霊山として知られ,江戸時代の後期に僧侶によって開山された信仰の山としての姿は今はありません。開運山の頂上まではコースタイムで1時間30分程度。1~2回の休憩を挟んで一気に登ることができます。12月末ですが,雪は日陰にうっすらと積る程度。チェーンスパイクを用意してきましたが,上りでは不要でした。黙々と登ります。

山岳部に所属していた高校生のころは,国土地理院発行の2万5千分の1の地図を特殊な折り方で折り畳み,コンパスと一緒にチャック付きのビニール袋に入れて持ち歩いていましたが,今はスマホだけ。スマホの登山用アプリを使い,GPSによる位置情報を基に登ります。そのアプリからは,リアルタイムで現在の位置が妻に送られます。写真を撮影すれば,位置情報と紐づけられて保存されます。アプリを使って1日だけの山岳保険にも入ります。まさに「 The Times They Are a-Changin' 」,便利になりました。

三つ峠山から望む富士山

開運山の山頂付近は一気に森林が開けて見晴らしがよく,富士山や南アルプスが一望できます。遮るものがないため風が強く,体感温度は一気に下がりました。フリースにダウンべストという服装で登りましたが,頂上付近ではさらにダウンジャケット,マフラー,ニット帽を着込みます。肌が出ているのは目の周りだけ。下界の喧噪が届かない静かな稜線で,透き通った風の音が響きます。うっすらと雪と森の匂い。この瞬間のために山に登っているような気がします。快晴の青空の下,開運山の山頂で富士山を望みながら,家族と友人,事務所の依頼者様,そしてご依頼にはつながらなかったものの事務所にご相談にいらした全ての方々の開運を祈りました。

開運山の山頂から少し下ったところにある山小屋で昼食。持ってきたのはアルファ米のリゾットとドライフルーツ。湯を沸かし,3分ほどで調理終了。食後に屏風岩を眺めながら紅茶を一杯。体がが温まります。その後,木無山と御巣鷹山の山頂に向かいますた。木無山はともかく,御巣鷹山の山頂は電波基地の片隅に山頂を示す小さなプレートが掛けられているだけで少しがっかり。

午後4時には下山してホテルの大浴場に。内風呂,半露天風呂,露天風呂,ミストサウナを順番に。苔むした岩から水が滴り,氷柱が下がっていました。岩の上に小鳥が舞い降り,短くさえずりまた飛び立つのを見ながらうたた寝。日中の温泉ほど贅沢なものはないですね。湯上りには友人からもらった富士山ビールを飲み,馬刺しなどをつまみながら夜が更けていきました。